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進学したオクラホマクリスチャンアカデミーでの高校一年のシーズンでは、チームMVPとオールカンファレンス1stチームに選出され、アメリカに渡って始めてのシーズンは充実したものになった。
その後より良い環境と新たな挑戦を求めロサンゼルスへと引っ越す。

高校3年時再び参加したジョーダンキャンプではアジア人始めてとなるMVPを獲得。さらなる自信をつけた仲西淳はバスケットの名門レドンドハイスクールへと転校し高校最後のシーズンを向けえる。しかし、シーズンイン直前の怪我、手術を受け始めての挫折を味わった。それでもシーズン途中で復活し、チームはリーグ優勝。ディビジョン優勝、南カルフォルニア準優勝と50年ぶりの快挙を成し遂げた。 彼にとっては怪我に泣き苦しい一年だった。 しかし最高の選手、最高のコーチ陣、最高の環境の中でバスケットできたあの一年は今までで一番の経験になったと仲西は言う。 事実、「その年NCAAディビジョン1の南アリゾナ大学から誘いはきていた」が結局ロサンゼルスにあるサンタモニカ大学(短大)に進むことにする。

一年目のシーズンではカリフォルニア短大トーナメントでエリート8(ベスト8)まで進み好成績を残した。

そして2005年、7年のアメリカ生活を終えBJリーグという日本初のプロフェッショナルリーグの舞台でプロ選手として活躍の場を日本に移す。日本に帰国したからと言ってけしてアメリカの道を諦めたわけではない。仲西は常に思う、アメリカ、日本、世界のどこにいようがバスケットに国境はないと。日本に帰るか、アメリカに残るか彼にとって最大の決断だった。そして、日本に帰ってきた理由は日本人として生まれ育った日本でプロ選手として、たくさんの人に自分のプレイを見てもらい、彼がアメリカで戦ってきた姿を見てもらう事は今後のバスケット人生において大事なことだと感じたからだ。日本でたくさんのバスケファンを魅了すること、これが今の目標だ。日本国内初のプロリーグ、BJリーグで彼は更に前に進んでいく!

“毎日120%の力を出し、感謝の気持ちを忘れずに生きていくのが毎日の目標” “NBAに行くのがバスケットの目標” “そして、誰からも尊敬されて愛される人間になるのが人生の目標だ。”

日々のチャレンジ、NBAという“希望”に向かって行く姿がこのHPから発信される。